所司代手留帖 http://sadaaki.progoo.com/diary/ ja 2008-11-19T00:00+09:00 警視庁恋物語 http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=132 12〜18日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 急に寒くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。 景気も寒い、懐も寒い、外も寒い、寒いづくしでやってらんねえ!とぼやく声があちこちで聞こえそうな霜月半ばです。 来週更新のつもりでしたが、時間がなさそうなので急遽早めてみました(笑)。 「警視庁恋物語」の第一章第3話ですが、ようやく「起」の部分が立ち上がりました。事件解決に挑むのは、またぞろあの人たちです。ていうか、どういうわけで「恋物語」なのかは、これからの展開でおわかりになるかと。 タイトルが某YTVのアニメの中のシリーズ「本庁の刑事恋物語」みたいぢゃん、というツッコミもありますが御容赦下さいませ。 殺伐とした世の中、人はそれぞれの本分をもって毎日を過ごしています。 それが誰かにとって不幸をもたらすことであれ、幸福をもたらすことであれ。 小さい頃は、自己実現の為だけに目標を掲げてきて、それが崩れると自分のために凹んだりしました。 しかし、年を取ってしがらみが出来たり、世の中の動きがわかってきたり、人間関係の機微が多少なりともわかってくると、「自分の為だけでは、人はしあわせにはなれない」と思うようになりました。 これ、頭で考えるのは簡単なんです。 頭で考えるだけなら誰もが笑って暮らせる平和な世の中がいい、と何度も作文に書けます。 難しいのは実行なんです。 いざというとき、人は自分がいちばんかわいいものだから、自分に都合のいい方向に反射的に動いてしまうんです。 誰も、あるいは自分が考えうる限りの多くの人にとってよいだろうと思える方向にもっていくという判断をするのは、それは経験と、そして意識を高めるしかありません。 よかれと思って言ったことでも、他人から見れば単なる自分勝手な理論でしかないこともあります。 正しいこと、正論であっても、人はその通りには物理的にも精神的にもなかなか出来ないことがあります。出来ないからといって、真っ向責めたり、自分がその案件や仕事などを奪い取ってしまうのでは、人間が社会を営むといううえでは支障をきたします。 何がしかの仕事を成した人に、「おれはこんなのやったぞ、どうだ」みたいな態度を取る人もままいます。 ハイハイハイハイ、よござんしたねとは言いますが、じゃあ果たしてその蔭でどんだけの人間があんたを支えてきたか、またはあんたの独断に我慢してきたか考えてみ?と。 物事は表裏一体で、人の評価も表裏一体です。 テロルも暴力も戦争もいけないことですが、そこに至るまでの経緯に何があったかを問う必要、そうならない為の対策を考える必要はおおいにあると思います。 恨まれる覚えなんてこれっぽちもない、と考えていても恨まれていることもたくさんあるかもしれません。その逆もあります。 「ああ、平和でしあわせだねえ」と言う自分の安穏の裏に誰か嘆いている人がいるかもしれないというものの見方を忘れないでいたいものです。<br><br>【PR】 <b><a href="http://www.webdeki.com/blog/" target="_blank">WEBできブログ</a></b> 快適動作で画像投稿&携帯対応の無料ブログです。有料版は独自ドメイン可。 ミツルギ 2008-11-19T00:00+09:00 商人スピリッツで行け! http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=131 11日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 どう〜も、近年の日本のナショナリズムを奮い立たせようとするときに「サムライ」とか「サムライスピリッツ」「サムライジャパン」とかいうのが違和感があるんですよね。 いったい、サムライ=武士というのは江戸時代総じて日本の総人口の十分の一程度だったわけです。 しかも、その中のいわゆるサムライ・オブ・サムライは実際はもっと少ない。足軽はサムライではないし、浪人も実はサムライではない。坂本龍馬のような郷士も実は呼称はともかく身分上は「サムライではない」。徳川幕府になる前は地元の武士でしたが。 大雑把なサムライの範疇に入る人は、身分の境界上にあるので農民とか商人とかの間を行き来していたわけです。お金で買えたり、養子に行ったり。 そういうモラトリアムな身分の人間における「サムライスピリッツ」は、ちょっと違う。 二本差しを単純にサムライとは呼べません。 上級武士も下級武士も、江戸時代はほぼ今のサラリーマンと同じです(というのは東大の山本先生が著書で述べてはりますが)。 生まれた家柄、石高によって出世のコースも決まっている。そこから抜け出して勝ち組になるには、優れた人材であることをアピールして家格の高いところへ養子に行くという道もありました。これも、今でいう専務の娘と結婚するとかー、そういうやつですよね。次男坊、三男坊だって、そういうやりかたによっては出世できました。 そんなこんなで、教育ママにしごかれ、とくに江戸のような大都会では野暮ったいサムライはモテませんし、おしゃれにも気を遣い、茶道や華道にいそしみ、自分磨きをしないとならなかった。 「武士道とは……」と豪傑みたく語るようなもんじゃない。江戸前期はともかく。 そういう文化の爛熟、上級武士のおざなり政治、発想の転換のないルーティンワークの官僚社会などで停滞した社会、にリア・ディゾンじゃない黒船が登場したので、やがて新発想を持った下級武士、浪人らのパワーで幕末は維新に移ったわけですが。 いま言う「サムライ」っていったいいつの時代のどんな武士のことなの? って思いません? 戦国時代はサムライなんて武士のようで武士じゃないような。 もとは土豪だったり野武士という荒っぽい連中から、半農半士のような戦の時期になると足軽になっちゃうような人が大半で、生まれながらの武士はそれこそ一握り。否、武士だったとて、秀吉のようなどこのものともわからない、しかし才気走った人間に攻略され、天下を取らしめる世の中だったのです。徳川家康の実家の松平家だって、出自ははっきりしませんし。 発祥を考えれば、貴族に「さぶらう」ガードマンだったのですが。 サムライかっけー、っていうのはやはり「二本差し効果」とか時代劇の演出が大であると思いますけど……。 それはさておき。 今更サムライスピリッツを持ち上げるのなら、近代化の過程において、何故サムライの精神を基盤から叩きのめすような教育と政治方針を行ったのか問いたいですね。 もうサムライなんていないんですよ。 一般市民はサムライの世の中を一旦大いに否定してるんですよ。150年前に。(明治には徳川時代がましだったという市民も大勢いましたが) サムライがサムライだったのは、「金で買えない高潔さ、心意気」をもっとも大事にしたからなんですよ。いざというとき国の為、家の為、民の為に命を張る。だから、町人や農民とちがって自ら腹を切ることが出来たのです。 ほな、日本の企業や官僚や政治家のトップは皆腹切っとんのかー?……切ってませんよね。いい加減隠居してええ奴もいまだに「元○○」とか肩書でえらそうにご意見番面して、うろちょろしてますよね。 金が大事、金で何とでもなるさ、という今の世の中でうたい文句にするのは、なんとも皮肉な話です。 自由主義経済の現代なら「自分よし、相手よし、世間よし」の三方よしの近江商人スピリッツがいいと思うんですがねー。 ミツルギ 2008-11-12T00:00+09:00 ほんまはXXYだったりして http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=130 3〜9日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 早いものです。 寒いと思えば立冬で、もう来月は12月。年賀状の予約も始まった。年を取るごとに時間の流れがはやくなるような気がするのは、事実ですね。 前回の話題とかぶってきますが、「女の子らしい」とか「典型的な女性らしさ」、いわゆる「オンナの可愛らしさ」って何だろう? と十代の頃から考えて自分なりに周囲の女性を見てきました。 私自身は、本当に「オンナの連れション(すみません言葉が汚くて)」とか「給湯室での噂話」がニガテで、休憩時間はなるべく一人でいるタイプです。そういうのがネクラと呼ばれた時代には、やはり「ネクラ女」というレッテルはイヤなので「普段は他人とも話すけど基本は一匹狼」に見えるように気取ってきましたが、昨今はおひとりさまも気楽に過ごせて「女一人」快適生活です♪ で。 ユングの性格分析でいうと、女性には「外向的感情型」というタイプが多いようなので、それを基準に考えると、私はあのテストでいうと「外向的思考型」なんですよね。こっちは男性に多いタイプ(笑)。 「このひと(外向的・内向的)感情型だな」と思える人は、 「事件や事故が起こると感情をあらわにする」 「感情で他人の好き嫌いを判断している」 「自分の感情、感性を大事にしていて、他人に押し付ける」(逆もある) 「感情でイヤと思ったことは無意識に回避しようとする行為に出ている」 「自分の感情を否定されるとムキになる」 ……というような傾向が見受けられるようです。私の中の統計では。 無論、人には感情がありますから、当然イヤなことも楽しいと思うことも誰だってあります。 「」に挙げたような気持ちは多かれ少なかれあります、私にも。 しかし、それが最も大事な判断基準で、しかも無意識に表に出してしまうのが「感情型」なんでしょうね。 少なくとも、私の判断基準は感情ではない。イヤでも我慢出来る、何かと引き換えに。あるいはイヤな人でもその人の才能は認める。自分にとって面白くない事実でも、世の中の流れである以上はその価値を認める。 イヤなことでも回避しない。どうせ逃げたって、いつかはイヤなこともしないといけないので。 自分の「面白い」を他人に押し付けたって、迷惑だと思うし。 自分の感情を否定するひとがいてもおかしくはない。世の中十人十色ですから。 感情を垂れ流して、何か得るものがあればそうしてきたでしょう。 泣いたら何でも買ってもらえるとか、きゃあきゃあ言ってたら友達がたくさん出来たとか。 でも、学習効果から私にとっては、それは失うことのほうが多かったので、感情をあらわにするのは私の人生には得策ではないと悟ったんではないかと思います。それは、たぶん幼い時に。 男社会というのは、実に「感情」にはシビアです。 「感情」は抹殺されるべきものです。表向きは。 ところが、一歩踏み込めば、「感情垂れ流し」の女が大好きな男ばかりです。己が普段、没感情でビジネスをやらざるを得ないだけに。 没感情に生きてきた男ほど、「感情垂れ流し」の女が大好きです。感情を見せない鉄仮面のような、男のような没感情の世界に我慢出来る女はニガテなんです。 十数年(学生の頃含めるともっとですが)一般社会で働いて、つくづく思いました。 「可愛くない女で悪うござんしたね」 ある人(男性・40代)が言いました。 「それはね、貴女が社会人として充分戦闘能力を有している証拠なんじゃないの?男は恐れているんですよ、貴女が男並に立ち回れることを。いわば、ライバルです。ライバルはまあ異性を意識する対象じゃあないしねえ」 って。 確かにある意味そうかもしれません。 私だって、大学生とか年下のペーペーの男の子はライバルだなんて思いませんもーん(笑)。 ミツルギ 2008-11-10T00:00+09:00 女はだまってぇ http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=129 10月31日〜11月2日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 ちょっと調子が悪いとき、飲むと治るフシギな肉体です!あくまでちょっとのときだけです。 久々にジュブナイルマンガを読んでしまいました。 カワイイけど気が強いヒロインは嫌いじゃないです。 でも、そもそも女という生き物は気が強いものです。 「気が強い」のにここぞという時に泣けるヒロインは、ある意味最強なんだろうなと思います。 ええなあ、そんな都合よく涙出んけど昔っから。 若いお嬢さんじゃなくなってしまった私でも、「デラ気が強え」「ごっつ負けず嫌い」「妖怪人間ベラみたい(爆)」と言われてきましたが、やっぱりここが大事!ってえときに涙は出んよ、キミぃ(誰に向かって?)! 涙はこっそり誰にも見えないところで流すのが女やろ!みたいに思ってますし。 でもって、事実歴史上の一大事とか大事件が起こってるときには、肝っ玉のすわった女の人は(男もか)感情的にはなりませんから(ギター侍風>古)。 目の前の一大事を乗り切るのが先やんけ。 こっそり泣いてるのを見てしまって(あくまで思いがけず見てしまう、というスタンスで)ずぎゅんと来るのが、男やろ。あからさまに泣かれると幻滅やん……。 ていうか、そういうのは「気が強い」んじゃなくて、ただのワガママ気儘な感情先行型の世間知らずな乱暴な(一言でいうと「下品」)お嬢さんじゃあないですか、ってマンガのヒロインに対して思ってしまったので、感情移入出来ませんでした。思ったことを垂れ流すだけのはた迷惑な人ですよ、ところもわきまえず泣くのはよ。 少なくとも成熟した女性のすることではないよう(あ、これは年齢に関係ないですね。本音トークか暴露話かなんか知らんが、感情垂れ流しの困った女性タレントさんなんか見て喜んでるのって、世の中の人の品位はどうなのかな……と思いますけど)。 作者さんは、そういう女性のタイプが好みなんだ、とちょっとがっかりです。 やっぱり私には、そんなヒロインは描けないし、そんなヒロインを応援する男も描けないのです。 ミツルギ 2008-11-02T00:00+09:00 寒いんですよね、PCのある部屋 http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=128 27〜30日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 風邪気味で大いに不調です。 ケータイはまた水没しててんやわんやしていました、一人で(笑)。 皆様もお風邪など御召になりませんように。 「明治とのさま探偵帖」新連載はじめました。 定期的とは言い難いのですが、ぼちぼちやっていきます。なんせ12月頃は忙殺されると思いますので。 来年の2月までに終わればいいなあ、などと暢気な計画であります。 正直、いろいろ環境が変わってやることが増えたり、体調がイマイチだったり。多過ぎて手が回らん状況のときもあります。そういう時は更新が遅れますが、申し訳ありません。 基本、朝型なので、論文書いてたときも、小説書くときも夜中にモノは書けません。 その代り、書こうとするときはイチローじゃないですが、朝から濃ゆいもん食べてガッツリやってます。 で、続編を書くぞと言っていた本サイトのほうの小説も、遅々として進まないんですよね。書いては放置し、また書くためにそれまでの話を自分で読み返してちょこちょこ直してるとあっ、ちゅう間に時間がぁーなことになって今日はおしまい、てな日もありますし(爆)。 思いがけず、話が長くなってってますし。文体もなんかかなり変わってますし。 多分、もう誰もお待ちではないような気がして、ま、遅れに遅れてるしもういいよナーなんていう自分に甘えてどないやねん、な。 とりあえず、自分の中である程度完結させたいので、書いてみます。広げた風呂敷を丸めてポイ、じゃあやっぱりイヤなのでして。 ミツルギ 2008-10-30T00:00+09:00 一雨ごとに秋になります http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=127 22〜26日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 なかなか拍手お礼のコメントをかえられなくてすみません。まとまった時間がとれないもので。 >24日22:22に拍手を頂いた方へ こちらこそ、長いだけで芸のない小説を読んで頂いてありがとうございます! 全部だなんて、嬉しいです(^^) せっかく、ご訪問下さる方々のお時間を割いて頂いているので、出来る限り「面白かった」と思えるものをと試行錯誤しながら書いていますが、至らぬ点も多々あると思います。 「逃げたい男」。 これは私自身も印象に残っている作品です。黒谷の山門を上りながら考えたものです。 会津武士の墓地を巡って、当時京という異郷の地で果てることの意義は何だったのかと思うと、斎藤さんにあのセリフを言わせるしかないような気がしまして……。 また、仰る通りに多くの先祖が脈々と受け継いできた道を繋ぐという意味は大きいですね。だからこそ、各々の立場での主張があり、悲しいかな幕府と朝廷の対立や戊辰戦争の悲劇に結び付いたのでしょうね。 本当に心のこもったご感想ありがとうございます。感激です! これからも、一つ一つの作品を真剣に書いていきたいと思います。 ミツルギ 2008-10-26T00:00+09:00 悲しみよ、さようなら、こんにちは http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=126 16〜21日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 「腹が立つこと、苛立つことは、実は心の"悲しい"という声なんですよ」  と、知り合いのカウンセラーが言いました。 自分の真実の気持ちを受け入れてもらえない悲しみ。本当のことを伝えられなかった悲しみ。どうしようもない状況で、ずっと我慢しなければならなかった悲しみ。 そのとき、心がショックで麻痺してしまって、あとからじわじわと悲しみが怒りの感情に形を変えて噴出してくることがあります。 まさに事件が起きたその瞬間に、行き場を失った悲しみは、怨念に変化してしまうのだそうです。 だから、「悲しいときには泣くとか、大声を上げて叫ぶとか、そのときに出し切っておかないと心の中にオリのように溜まってくるんです」。 よく、痛ましい事件が起こるたびに「この人がどうしてこんな行動をとったのかわからない」ようなコメントがマスコミから発せられたり、「嘆かわしいことです」と言われるが、実際の事件はその瞬間しゅんかんのものではないと思うのです。 人間誰しも殺気立って生まれてくるわけでもなく、そういう人間に敢えて育てようとする親兄弟もいるとは思えません。 では、「その個人が勝手に凶悪な人間になっていくのだ」というのでもない。 恐らく、何らかの事象が積もり積もって、殺意に切り替わったり、精神錯乱状態に陥るのだろうが、それまでの間に彼等はそのカウンセラーの言うところの「悲しみ」を昇華しきれないまま、過ごしてきたのではなかろうか。あるいは、そうして過ごさざるを得ない過程にあったのではないかと。 テストの成績が悪くて、親に叱られた。これは、自身のプライドもともかく、親に認められない悲しみでもあります。 友達にシカトされた。ムカつく。これは、自分を仲間と認められない悲しみです。 「悲しみ」を昇華するには、どうすればいいのでしょうか。 文字通りの「昇華」作用を求めるのが手っ取り早い。テストは悪くて叱られたけど、とりあえずは今はリラックスの為にゲームやりまくってスカッとしよう。部活に励もう。 なんていうのは、周囲に迷惑がかかりにくい方法です。 それを、シカトされたからといって裏サイトに悪口を書き込もう、となると、これは恐らく「悲しみ」が「悲しみ」を生むだけの悪循環になりかねません。 いちばんいいのは、「悲しみ」の声を聞いてくれる他人が側にいることでしょう。 いないときは、自分で断ち切るしかない。 本当に深く傷付いた自分の心を癒すのは、自分自身でしかない。 その為に、何もかも捨てる必要もある。イヤになったら捨てればいい。 リタイアでも転校でも転職でも引越しでも何でもいい。自分を悲しみのどん底に叩き込んだ環境を離れる。 貯蓄は好きでも、悲しい気持ちは貯めないほうがいい。 何でこんな事を言うのかって? 私が、常に行き場を失った悲しみに苦しみ続けてきたからですよ。 今は大丈夫です。とても恵まれた環境に生きていると思えます。 だから、自分の心の奥底のまだ癒されない大きな「悲しみ」はさておき(相当なトラウマなので、これを解決するのは恐らく死ぬまで無理でしょう)、目の前の悲しんでいる人の話を聞いてあげるくらいの、そんな気持ちにはなれています。 悲しみよ、さようなら。 かといって、悲しみの体験のない人は、他人の悲しみを理解出来ません。悲しみの存在すら気付きません。 悲しみを自分自身で乗り越えた人には、人としての奥行きが感じられます。 他人の悲しみに気付いて「ああ、この人、怒りよりも悲しみが強いんだ。心の奥では悲しんでいるんだ」と思うと、反発心はわきません。一時的に腹は立っても、労わりの気持ちがわいてきます。 そういう意味では、悲しみよ、こんにちは。 ミツルギ 2008-10-21T00:00+09:00 こおろぎ心中完結しました http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=125 13〜15日に拍手を頂戴した皆様ありがとうございます。 「こおろぎ心中」完結しました。 遅くなりまして申し訳ありません。 事件の内容が内容だけに、明るい最後にはなりませんでしたが、お楽しみいただけましたら幸いです。 心中事件そのものが本当にあったかどうか真実はわかりませんが、あるとしたら、単なる痴情のもつれとも思えない気がしましたので。 次回は、また「明治とのさま探偵帖」に戻る予定です。今度は斎藤改め藤田五郎が活躍してくれます。幕末のころとはちょっとキャラが違うかもしれませんが……。 ミツルギ 2008-10-15T00:00+09:00 観光庁を作る前に二時間ドラマでも見たらどうよ http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=124 8〜12日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 ノーベル賞で話題もちきりですね。ニュース自体は喜ばしいことです。 しかし、マスコミが「今の学生の理科離れがどうの」というのは頂けません。 確かに理科嫌い、数学嫌いの人が多いことは否定できませんが、イコール文系にしているのをいつもがっかりします。 広い意味で理科も含めて、数学なんて、ギリシャ時代は哲学という、いまでいう文系オブ文系といわれる学問の一派だったのに……。 数学や哲学というのは基礎学問であるので、文系も理系もへったくれもないのです。 理屈がわからない人間にはどういう分野の研究も出来ません。 文学にも、数学や物理学は必要です。それゆえに、旧帝大系国立大学には文系でも数学の二次試験があるのです。でも、それも本来は考える力を養うための勉強であって、単純に暗記するようなものではありません。 「自分は文系(理系)だから……」と逃げ腰になっているような人は、結局はどっちつかずの理系も文系もどっちも出来ない人と自ら宣言しているようなものです。 本来は、受賞された先生方が言っておられるように、子供は皆考える力を持っているのです。それに興味を持たせる教育が必要なのですよ。 テストの点数も大事ですが、考える力を身につける、そうでないと大人になって社会に出てから為す術もありません。 そこには理系も文系も関係ありません。困ったことが起きた、次どう対処しよう、というときに冷静に己と己の状況を判断できる力は、実は子供の頃から培われていくものです。 テストだけで官僚になれてしまう、しかもそれが塾に行けて東大や超有名私立に入れた金持ちの子供ばかり、という社会もどうなんだろう、と思いますね。 それよりも、今の日本人の余りにも地理、歴史を知らないことに「理科離れよりよっぽど危機的なんじゃないか」と思ってしまいます。 自分の国の歴史も知らない、自分が生まれ育った地域のこと、名産、おいしい食べ物も知らない、関心がない。そんな住民だらけの日本に観光庁を作っても、いざ外国人を迎えて恥ずかしくないのか?と思いますね。 若い人はバカにしがちですが、二時間ドラマの観光巡り的な部分は結構勉強にもなりますよ。郷土の名産とか食べ物とかの紹介もあって。 二時間ドラマちっくに地理の授業をするってのも面白いんじゃないかという気はしますけどね……。 ミツルギ 2008-10-12T00:00+09:00 世の中は日進月歩 http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=123 6、7日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 >6日21時29分の方 ご感想ありがとうございます。 こちらこそ、いつも拙作を読んで頂いてありがとうございますm(_ _)m 大河ドラマの斎藤さんのイメージを自分勝手に膨らませて、こうだったら面白いのになー、歴史の舞台裏にはこういう出来事があってもおかしくはないよなー、などという妄想から生まれたものばかりなので、お褒め頂くと気恥ずかしいばかりです……(照)。 ただ、今も昔も現実の方が空しいことや悲しいことが多いだろうこの世の中で、せめて物語の中だけでも一筋の光明が見えれば、という思いです。 「花屋町〜」は、初めて書いた斎藤さん小説なので、自身も感慨深いです。読み返すと、甘いなと思う部分も多いのですが。 今後もいろんな角度から、幕末または斎藤さんを描いて見たいと思います。拙いことばかりですが、宜しくお願いいたします。 突然ですが。 コスプレってやったことありますか、皆様? いや〜いろいろ調べものをしていて、たまたまネットでコスプレのオートクチュールをネット販売してる店が検索にかかって、気になったので見てみると出るわ出るわ……スゲーなー(笑)、と。 小一時間ほど楽しんでしまいましたが(イカンよ)。 私自身のコスプレ経験は、まあ、あのたいしたことはやってないんですけど。 高校の頃とか友達のコスプレ衣装を何着か作ったことがあるんですよねえ。ドラ○ンボールとか聖○士☆矢とか。 自分は着ないのに(笑)。 サイトを見てると、「ええっ、ああっ?なんでこんなに小道具が安いのっ?ウィッグが何千円なんて信じられない」と呟いてしまいますよ。 昔は、そりゃ一着作るにも、生地を買いに行って寸法あわせをして、仮縫いして、アクセサリさがして、小道具作ってウンヌン。ウィッグはうちの実家の仕事の関係で、借りたり出来ることもあったんですが、買うとなると一台何万円〜何十万円ですよっ。そりゃ本当の毛ですから、今と違って。ブロンドとか赤毛とかキレイでした。 本気でやろうと思えば、コスプレ衣装にはかなりのお金をかけることも可能なんでしょうけど、今はほんとに安く誰でも出来るようになったもんだ……と感心させられました。中学生くらいのお小遣いでも出来そうだもんね。 でも、さすがにこの年になるとやってみたいと思えるアニメのコスプレは、ないですね(笑)。 ミツルギ 2008-10-07T00:00+09:00 人として http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=122 4、5日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 本を読んだり、また自分が稚拙ながら何かを書いているとき、常に「見えざる多くの力」の存在を感じます。 オカルトな話ではなくて、たとえば偉大な学者、研究者の業績を著述にしたものを見ると、 「この本が出来上がるまでにいったい、幾人(いくたり)の手を経て、幾日の時間を経て、どれだけ多くの資源や精神を費やしたことだろう」 と思わずにいられないのです。 実際に、ものを書くとき、自分が思いついたものだけでは書く事が出来ません。取材が必要なときもあります。資料がたくさん必要なときもあります。 その資料(史料)をものした先人や、出来事に関わった人々、事例を集めた人々の手を経て、書物は成り立っています。 何かを書く、研究成果を出す、ということは、数多の人々の頭の中を通ってきた事実や思想に敬意を払って行うべきことなのです。 ですので、小説が受賞したとか、研究が認められたとか、そういうニュースに出くわしたとき、インタヴューを受ける人の言葉を気にして見て(読んで)しまいます。場合によっては、「ああ、この人は自分のことしか考えてない」と思ったり「あんたを支えてきたのは、家族や周囲の人だけじゃないんだぞ」とか意地悪な目線で見てしまいますね。 口に出さなくても、全身あるいは文章(言葉)の端々に社会への感謝の意を表している人もいます。 若い頃は、私も「自分も何事かなさねば一人前とはいえないぞ」と思ってきましたが、人はそうである必要はないのです。 自分という一個人が「見えざる力」となって、誰かの仕事に手を貸しているのだと思うと、それだけで充分なのです。人の社会というのは、そういうものだと思います。少数の目立つ存在よりも、目立たない多くの力が動かしているのです。 出来れば、人として、一時だけ目立って派手に命を燃やし尽くすより、ずっと誰かの足元を照らす、そういう存在でありたいです。 ミツルギ 2008-10-06T00:00+09:00 連絡事項ばかりですが http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=121 9月29日〜10月3日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 皆様すみません、「こおろぎ心中」最新話へのリンク切れがありました。訂正いたしました。 >3日7時の方 すみません、ご指摘ありがとうございます。 リンク切れ訂正いたしました。 気付かずに申し訳ありませんでしたm(_ _)m 事務的なことですが、メールの具合が悪く、受信は出来るのですが送信がまったく出来ません。どういう理由なのかわかりませんが1日きっかりからそういうことになってしまい非常に困ってしまっています。 はやいこと直してもらわないとなりませんが、なにぶん日中忙しくて問い合わせが出来ません。 そういうわけで、もしメールでのお返事をご希望の方は遅れますので申し訳ありません。 ミツルギ 2008-10-03T00:00+09:00 時代劇は難しい http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=120 21〜28日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 今更「柳生一族の陰謀」……って。 と思いながら観ましたが、やっぱりアゼン。もはやテーマとするところが、今の時代にそぐわないんですよね。勧善懲悪と単一の命題があって、美男美女の役者の華麗なアクションや衣装が見所だった時代はもう終わった。 高度成長時代もオイルショックもバブルも何もかも終わった今、コンプレックスな世相とIT時代到来によって遍く普及した知識と、ドラマ慣れした人びとの観察眼にそぐわない。 もはや、現実に起こる事件のほうがドラマティックで衝撃的で、人の心を深淵に放り込むことが多い。 そんな時代に、歴史上のif……だとか、好いた女が殺されたとか、父と息子の対立だけでドラマを成り立たせようとするのは難しいのです。 時代劇は難しい。 着物を着て殺陣をつけるだけでは、時代劇ではない。 どういうドラマにしろ、根底には通ったものがあるとしても、常に時代に即して変化していくものがあるべきだと思う。 それとも、すでに研究によって明らかにされている事実を吹っ飛ばすほどの強烈な味付けの絵空事なら、それはそれで却ってハマることが出来るのかも。 ミツルギ 2008-09-28T00:00+09:00 お知らせ http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=119 12〜20日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 掲示板がサーバーの不都合か何かでアクセスできなくなったので、廃止いたしました。ご不便をおかけするかも知れませんが、更新のお知らせなどはTOPもしくはこちらのほうでお知らせいたします。すみません。 ミツルギ 2008-09-20T00:00+09:00 夏の終わり http://sadaaki.progoo.com/diary/?pid=sadaaki&commentDispNo=118 7〜10日に拍手を頂いた皆様ありがとうございます。 「ゴンゾウ」も終わって夏が終わったという感じです。 映画は観に行かないので、11月の舞台を楽しみにしてます。なんてったって、生一生ですからねえ。 体調が思わしくないんですが、寝不足とか不規則な食事とか不摂生がたたっているのかもしれません。PCのやり過ぎは何とかしないとならないんですが、原稿や調べものがあるので、どうしたものか。少し痩せて心身ともにすっきりしたいと思います。世間一般の、ちょっとふっくらしたとき言う「あら、元気そうでいいわねえ」はムカつきます(笑)。 人は体格や体調に個人差がありますし、少なくとも私の場合は太ってきたら調子が悪いってことで。血行が悪くなってたり、内分泌系とか代謝機能が疲れているんです。むくみがそのまま脂肪に変わったりして。 ほんま、何でも自分の思い込み(太った→食欲がある→健康的)で他人様にそういう言葉をいってはいけませんね。深刻に悩んでる人もいるんですから。私は「はん。うぜえんだよ、こっちのことなんて何も知らないくせに」と心の中で毒づくくらいですが、はっは(笑)。 ミツルギ 2008-09-11T00:00+09:00